attitude


一級建築士事務所 山田建築設計室
建築や住宅をつくる上で、当たり前の事を、素直に考えたいと思います。
当たり前とは、既成概念に従うことでは無く、ルーツに立ち返った上での当たり前であり、
自然の摂理に・・・施主の気持ちに・・・社会の秩序に・・・美しさに・・・プリミティブなことに対して素直に考えようと思います。

建築に向かう態度は、「これが私のコンセプトです」などと一言で語るものでは無く、多用な・多義的な概念を認めることで、
それを無理やりに、分り易い言葉やキャッチフレーズに閉じ込めてはいけないと思っています。
このページには、とりとめも無い、建築に対する態度や心構えを書き並べています。
私は、こんなことを考えながら、住宅や建築を設計しています。

目次


 ■土地と建築・環境と建築
 ■おおらかな家
 ■スタイリッシュ
 ■単純に考える
 ■アクティビティー
 ■シークエンス  NEW!
 ■JAZZ
 ■料理と建築
 ■建築のエコロジー
 ■建築という物
 ■建築家
 ■建築家に依頼する-1
 ■建築家に依頼する-2
 ■コンストラクトマネージャー

■土地と建築・環境と建築
私が建築を考える上で一番大切にしていることです。
ここで言う「環境」とは、昨今話題になる「地球環境」「エコロジー」の類ではなく、建物周りの「周辺環境」「生活環境」のことです。
建物を建てる際には、車の交通量・日当たり・隣の建物の様子・近くのお店や学校等の環境をよく見定めて土地を選びます。
一方で建物は環境に影響を及ぼします。住宅地でマンションの建設反対運動がおきるのもその為で,、規模の差こそあれ一戸の住宅も周囲の環境に影響を与え環境の一部になります。だから建物を建てる際に、その土地での建物のあり方を考えるのはとても大切なことです。
「田んぼの一軒家」「傾斜地に建つ家」「住宅街の一戸建て」「商業地の店舗併用住宅」どんな場所にもそれに相応しいたたずまいの建物があり、建物を建てる際に土地から教わることは多くあります。
田んぼの真中の広々とした敷地にわざわざ2階建ての家を造る必要もありません。傾斜地に建つ家では、土地を平らにするよりも土地の高低差を上手に利用して、基礎と一体になった地下や半地下を作るほうが合理的です。閑静な住宅街では、隣の家の緑も景色になります。商業地のにぎやかな場所で商売をしながら住むには、色々な工夫が必要です。
建築主の建物・家に対する希望、ライフスタイルは勿論大切です。
しかし、土地選びでは自分のライフスタイルに一番相応しい環境を考え、ライフスタイルが土地選びに反映されています。

自然に囲まれたライフスタイルを望む方は、緑の環境豊かな土地を選ぶでしょうし、便利な街中での生活をしたい方は、多少狭くても街中に土地を求めます。傾斜地の土地を選んだ方は、多少の工事の困難を克服しても、坂の上から見下ろす抜群の景色を大切にしたいに違いありません。「どこに住まうか?」・・・ここにライフスタイルが集約されています。
だから、その土地の環境を尊重し、土地とそれを取巻く環境に対して素直であるべきだと思います。

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■おおらかな家
おおらか…漠然とした言葉ですが、おおらかな家をつくりたいと思っています。
開放的な家、明るい家、自由な間取り、おおらかな建築である為には、どれも必要な要素だと思います。
けれども、もっと大切なのは、そこでの生活がおおらかであること事です。

美しいが、肩肘をはって暮らさなければならない、これ見よがしの建築には興味がありません。
友人が、西伊豆の山の中に古い農家を改造した別荘を持っていました。東京に居た頃は、筍の季節、海遊びの季節、栗の季節、季節ごとに遊びに行っていました。障子を開け放って、縁側でくつろいだり、囲炉裏で魚を焼き酒を飲んだり、とてもゆったりとした週末をすごしました。農家と言っても、大きな柱梁のある本棟造りの立派なものではなく、30坪程の平屋でどちらかといえばつましい家でした。建物に圧倒されない「建物のつましさ・素朴さ」もくつろぐのには大切だったのかも知れません。

nLDKという個室の積み重ねにも興味がありません。
家族の暮らしの中で完全なプライバシーが必要な場面がどれだけあるでしょうか。家族の中での風通しの良い関係の方が大切です。子供部屋が必要なのも一時です。子供が巣立ったら納戸にしかならない部屋が幾つもあるよりは、時間の変化で間取りが変化できる工夫も必要です。

一方で、この頃の建築雑誌に多い、単純なひと続きの空間も、如何かと思います。
色々な場所が一体の空間にあっても、それぞれの拠り所となる仕掛けは必要でしょう。落ち着いたコーナーや気持ちの切り替えになる壁、見えがくれしながら連続する空間。風通しの良い空間でも、色々な生活の場面に節目をつける配慮も大切です。
建築には、開放感×落ち着き ・ 光×影 ・ 風通しの良い関係×プライバシー ・ 美しさ×親しみ ・ 繊細×大胆、等
相反する要素が数多くありバランスが肝心ですが、私は「おおらかに暮らすこと」を大切に考えています。


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■スタイリッシュ
スタイリッシュでスマートな家・・・・。
建築家に住宅の設計を依頼しようと思う方は、こんな生活にあこがれるかもしれません。
しかし、自分の胸に手を当てて良く考えてみてください。あなたは、スタイリッシュでスマートですか?
私はどう見てもスタイリッシュでスマートではありませんから・・・・・。

豊富な収納ですっきりした家・・・・。
自分の部屋を見回してください、本当に必要な物はどれだけありますか?まずは、身の回りを整理してみましょう。
どんなに収納を多くしても、収納の量につれて持ち物が増えたら、イタチごっこで片付きません。
家が片付いてすっきりしているのは、収納の多少ではなく住む方の個性です。

建築家が設計したオシャレな住宅に生活したら、あなたの生活は変わるでしょうか?
今までの経験では、住む方の生活は変わらず、変わっていくのは建物です。
建物に人が住んで色々な物が置かれると、建物は住む方の個性に染まり、住む方の雰囲気に変わっていきます。

我々は、空間を形づくり、場所に性格を与え、手がかりをつくるだけで、建築は住む方とともに成熟していきます。
仮に、私の設計した家がスタイリッシュだったとしたら、そこに生活している方がスタイリッシュで、
仮に、私の設計した家が楽しく見えるならば、そこに暮らす人が活き活きとしているのでしょう。

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■単純に考える
私は有名建築家ではないので、依頼されるのはローコストな住宅が大半です。コストを抑えるのに…答えはただひとつ、「余計なこと」をしない。
「余計なこと」をしない為には、単純に・素直に考える事です。私はミニマリストではありませんが、物を創るときに複雑な内容をシンプルに還元するのはとても大切なことだと思います。
私の事務所では、まず敷地を案内していただいて、どのような家にしたいかのお話を聞くところから始まります。殆どの方のお話は矛盾だらけですし、それはそれで構いません。
その後で、スケッチを描いたり模型をつくりながら思考錯誤します。複雑な希望を複雑にしたままでは建物が形になりませんし、色々なこだわりから、その中にある希望のエッセンスを探り出していきます。
ある程度形になったところで、建主と打ち合わせながら、方向性を確認していきます。1回でまとまるときもありますし、何度かやりとりをしながら正しい方向にたどり着くこともあります。
頭の中では矛盾して堂々巡りでわからなかったことが、建物の形を目の前にして「こんな単純なことだったのか?」と胸のつかえが取れる時があります。こうなれば大丈夫です。後は、自分たちの生活に必要なものと余計なものが、自然に浮かび上がってきます。
住宅の設計は「生活のカウンセリング」と言われますが、基本設計の中で行われるこの作業が、住宅の設計の中で最も大切な過程だと思います。


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■アクティビティー
建築設計事務所には、住宅に熱心に取り組んでいる方、店舗やインテリアデザインに関わる方、公共施設や大きな建物の仕事が多い方、ランドスケープや都市デザインに取り組む方など様々ですが、私の事務所では、機会ある毎に、色々なスケールの仕事に取り組んでいます。
規模の違いで、考えることやデザインする上で気にかけることは違いますし、建物が出来上がるまでの時間・労力やかかる金額も違います。自分の得意なテリトリーを決めて住宅ならば住宅、オフィスならばオフィス、内装ならば内装、をデザインしたり設計すれば効率的かもしれません。しかし、私が機会ある毎に様々なスケールに取り組む理由は、 空間や建物をデザインする為に一番大切にすべきことは全く同じで、「アクティビティー」=「人の活動」を包み込む事だと思っているからです。
店舗のデザインやホテルの客室等の商業空間では、美しいデザインが求められますが、そこで食事をしたり宿泊する人の「活動」を考えずに、美しいだけでは快適な場所になり得ません。住宅しかりオフィスしかり・・・、表層や形のデザイン・機能は大切ですが、それは好みであったり、必要性に迫られてのことです。デザインや機能が変わっても変わらないのは、人の活動が刻み込まれた空間(空気)です。
私は、設計する時に、形を追うよりも先に、そこでの人の活動を描いてみることにしています。住宅を例にとれば、朝起きて、食事をして、ゴミをだして、学校や職場に出かけて、掃除をして、友達が遊びに来て、買い物に行って、皆が帰宅して、夕食の仕度をして、風呂に入って、くつろいで、寝て・・・これを追いかける事で住宅の骨組みをつくる事が出来ます。店舗でもホテルでもオフィスでも全く同じことです。
設計・・・即ち、空間(空気)の中に「アクティビティー」を刻み込むこと!
デザインする建物のスケールが違っても、「アクティビティー」を刻み込む作業は同じです。だから、私は同じ頭で、色々な規模の色々な建物を設計しています。今まで設計した一番小さな建物は猫小屋(50cm四方)・・・猫の活動・生活の為に設計しました。一番大きな建物は陸上競技場・・・競技者と観客がプレーの興奮を共有する為に考えました。大規模な集合住宅の計画に携わった事もありますが、その時に最も大切にしたのは、街路を中心とした街全体のアクティビティーでした。椅子(家具)もデザインしますが、椅子は「座る」という人の活動を受け止めるモノであるという事において、建築と変わりありません。

色々な規模・用途の建物を設計することで、定石に流されずに多様な局面を考え、アクティビティーを見つめ直す機会になり、とても良い刺激になっています。

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■シークエンス
色々な分野でシークエンスという言葉が使われます。生物学におけるシークエンスとは、核酸、蛋白質、糖鎖などのポリマーにおいて、それを構成するモノマーのつながっている順番(配列)のこと・・・・と何だか良く分かりません。
建築でも、シークエンスという言葉を使います。建築でのシークエンスとは、「移動することで変化していく景色・空間・光」と言ったらよいのでしょうか・・・・・これも分かりにく概念です。シークエンスに対する言葉としては、シーン=場面があげられます。連続するシーンによりシークエンスが構成されるので、正確には対義語とは言えませんが、「移動」と「動かない視点場」という面では対峙する概念です。

分かり易い例を挙げると、オープンハウスなどで、私の設計した建築を案内する時、大雑把に分けると、二種類の見方をする人に分かれます。
ひとつは、立ち止まって腕組をしながら、建物の佇まいや細かなデザインを観察する人。
もうひとつは、ニコニコした顔で楽しそうに建物の中を歩き廻る人。
私は、いつも後者の様に、「建築を感じたい」と思っていますし、「建築を感じてほしい」と思っています。ひとつの立面や場面が際立つ建築ではなく、動き廻る中から全体像を印象づける建築を創りたいと思っています。それは、絵画や写真・彫刻などの芸術と違って、建築だけが、人を包み込み・体感するものだからです。
あるコンクールで、著名な建築家に、私の設計した建築を見ていただいた事があります。現地審査といっても、彼等は建物の中を楽しそうに歩き廻るだけでした。やはり、シークエンスの中に建築を感じていたのでしょう。

人の生活は、ひとつの椅子に腰かけて一日を過ごすのではなく常に動きがあり、人は建物の中を歩き廻ります。
設計をする際に、「ここから見えるあの景色を大切にして下さい」という要望をいただく事もあります。勿論、「ここから見えるあの景色」も一場面として大切にしますが、私は、建築を動き廻る中で、その建物の空気・空間・移りゆく景色を感じられる事を大切にしています。
シークエンス・・・色々な造形物の中で唯一、「アクティビティー」=「人の活動」を包み込む建築が考えるべき事で、豊かなシークエンスをつくるのは、建築にとって最も大切な事のひとつです。

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■JAZZ
プロフィールの欄に趣味・Jazzとありますが、Jazzを聞くのが好きです。
高校生の頃、友人の家で遊んでいたときの事、友人が古いレコードをかけました。「Birth of the cool」ビバップなどの古いスタイルのJazzからの決別を意味する、マイルス=デービスのクールジャズの誕生でした。当時、バブルの時代には、夜の番組にオシャレな女性歌手が、スノッブなJazzのイメージを演出していましたが、私は何の興味も持てませんでした。
しかし、「Birth of the cool」はそれまでJazzに描いていたイメージとは全く別の次元のものでした。波のようにうねりを持って押し寄せる音の洪水。それ以来、松本のJazz喫茶「エオンタ」に入り浸るようになりました。大学浪人時代には、一杯のフレンチコーヒーで何枚ものレコードを聞かせてもらいました。
昔は、セロニアス=モンクの音と音の間の見えない音が好きでしたが、この頃少しご無沙汰しています。その頃、白井昴一の建物にあこがれていたりしました。
この頃、聞くのは、エリック=ドルフィーとジョバンニ=ミラバッシ。どちらも、坦々としたリズムの動きの中に自由に動き回る音が好きです。
「坦々とした秩序の中に自由に展開する空間」とでも形容できるような建築を創りたいと思います。

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■料理と建築
「信州の建築家とつくる家」をご覧になった方から御相談を受けました。レストランを計画中で、作品の印象もさることながら、プロフィール欄に「趣味:料理」と書いてあるのが目に留まったようです。
この頃「スローフード」という言葉を耳にしますが、私の小さい頃は現在と食品の流通形態が違いますから、多くの家が季節の旬のものを家庭で調理した「スローフード」が毎日の食卓でした。私の家も両親と食べ盛りの子供4人のおかずが大皿に盛られ、皆で食卓を囲みました。子供たちもごく自然に料理を手伝うようになり、料理は趣味というよりも、生活の一部として当然のたしなみでした。
気づいたら弟は有名レストランのシェフになり、弟との会話の中で、料理と建築に共通点が多いことが話題になりました。
料理も建築も生活の一部ですが気の遣い方次第で、不愉快にもなりますし、心地よい料理や建築は芸術の域に達するものもあります。
料理も建築も創る人の個性もありますが、食べたり住んだりする方がいて、相手に喜んでいただけることが大前提です。
建築は、周囲の環境、時代の雰囲気、空間の組み立て、素材や仕上げの取り合わせ、工法や表現の選択、等を基に建築を形づくっていきます。料理も同じく、食事のシュチュエーション、メニュー全体の組み立て、素材と素材の組み合わせ、調理の手法、全てに頭をめぐらし技をふるいます。
料理では、丁寧な下ごしらえも大切ですが、火加減や塩梅の一瞬の判断や勘が料理を決めます。建築でも、緻密な設計図の検討と同時に、建設現場でのひらめきや判断が建物の出来を左右します。

そんな共通点が多いせいでしょうか、料理好きな建築家が多くいます。
多くの共通点がある一方で、一番の相違点は、料理は「そのとき」が全てですが、建築は長く残ります。
料理は、「そのとき」に一番ふさわしい料理が最高の料理ですが、建築は長く残るので勢いだけで考える訳にはいきません。

建築は、将来の姿を想像することも必要ですし、一方で、瞬時のインスピレーションも大切です。
長く残るのは、喜ぶべきことですが、一番むづかしいところです。

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■建築のエコロジー
高度成長期やバブルの時代を経て、自然との付き合い方が見直され、新しい付き合いが模索されています。
食の分野では、有機農法・地産地消など、地に足の着いた「食のエコロジー」が実践されています。
特に「安くて新鮮でおいしい」地元の旬の野菜は、輸入食材に対しても十分に高いコストパフォーマンスを持ち、スーパーマーケットでも地元の野菜コーナーは魅力的です。消費者と流通と生産者が手を結んだ「食」をテーマにしたエコロジーです。
昔から「四里四方を食らふ」という言葉がありますが、「食のエコロジー」には「地域」という視点が大切です。

建築でも、「地元の木材で家を造ろう」と唱え、長野県では、県産の木を使った家づくりに補助金を出し県産材を奨励しています。
確かに、農村部で裏山の木を活用した建築は、「四里四方を食らふ」に通じるところもあり、里山整備は地域の環境にとって大切です。
輸送による環境負荷が少ない地域木材活用は環境負荷を低減しますが、県産材の量は限られていますし、北米・北欧でも循環型環境に配慮した計画的な林業は日本以上に研究されており、北米・北欧材を使うことが間違っているとは言えません。
それでは、もっと根源的で普遍的な「建築のエコロジー」は何でしょうか?
それは、長く使われる建築を目指すことです。「建築のエコロジー」には、「時間・永続性」の視点が大切です。

木材・鉄筋コンクリート・鉄・アルミ・ガラス・プラスチック、どんな材料を使うにしろ、建築材料は地球を蝕んでつくられます。材料だけでなく、輸送・作業に伴う燃料の消費・廃材の処理を考えれば、スクラップ&ビルドの建設行為は明らかに自然を蝕んでいます。
ハウスメーカーの平均的な木造住宅の建替えサイクル15年〜20年を、60年に伸ばせば単純にそれだけで地球に対する負荷は、1/4〜1/3に軽減できます。どんなに工夫しても、同じ規模の建物を1/3の環境負荷で建設することは不可能でしょう。
「環境に優しい建築」「環境をはぐくむ建築」などは、建築をつくる側のイメージ戦略であり、建設工事が環境に良いことはありません。
出来るだけ建物を長く使って、建設工事を減らすことが、建築をテーマにしたエコロジーです。
構造や仕上げなど、物理的な建物の寿命を60年にすることは、むづかしい事ではありません。15年〜20年で建物が建替えられてしまうのは、物理的な理由ではなく、建物が使いづらくなり間取りを転換できなかったり、デザインに飽きてしまうからです。
長く使われる建築に必要なのは、間取りを変えながらも使われる続ける建物の骨格と、飽きることの無いデザインです。

60年という時間を考えてみると、私が40才で建てた自宅が、60年経つと、私は100才、私の子供が60代、次の世代は30代で、そこには、小さな子供が居るに違いありません。私の父母から数えると、5世代にわたる人が生活し、2世帯住宅ならぬ 「5世代住宅」です。
60年スパンの家族のシナリオを描くことは不可能ですから、予測不能な将来を想像しながら「間取り」を考えることも無意味です。
必要なのは、色々な「間取り」を包容できるおおらかな空間で、建築は「シェルター」にすぎません。
使い続けたいと思える「魅力的なシェルター」であること、即ち、丈夫で包容力があり美しい建築であることが大切です。


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■建築という物
自動車は各メーカーがデザイン・設計し、色々な部品が自動車工場に集められ、それを工場で組み立て、厳格な品質管理を経た上で工場から完成品として出荷されます。製品の品質はメーカーが保証し、我々は消費者として自動車を購入します。

現在、住宅に限れば大多数がハウスメーカーによる量産住宅です。彼らは住宅を「販売」し建築のことを「商品」と呼びます。建物を他の物と同じように、商品として気軽に手に入れる物としてイメージ付けようとしています。メーカーや商品という言葉の裏には、「厳格な品質管理に裏づけされた確かな製品」のイメージが見えがくれしますが、建物は他の「物」と違って完成した物が届けられるのではありません。建物は、現場で基礎を造り、柱・壁・屋根・サッシュ・設備機器・仕上げ材・何千何万もの部材を色々な職人・専門職の手によって作り上げていきます。建築は工事現場での膨大なローテクノロジーの集積で、建物の品質は工事現場を如何にコントロールできるかで決まります。ハウスメーカーは、自動車メーカーのようなmaker=製造者ではなく、住宅の設計施工会社です。
メーカー、商品、購入という言葉によって、建築は現場でつくる物ではなく、気軽に買うものだという誤った考えを広めた、ハウスメーカーの態度には問題があります。
更には、社会に対して建物の責任を持つのは、ハウスメーカーではなく、文字通り「建築主」です。
これが誤解されるのも、ハウスメーカーの商品を販売するという態度と、過剰なサービスによって、建築主の主体性を奪ってしまった結果です。
「私は欠陥住宅を買わされた」と言うフレーズを耳にしますが、この態度は間違いで、「私の不注意で欠陥住宅をつくってしまった」が正しく、建築主は客体ではなく主体です。建物は、建築主と建設会社が設計図をもとに工事契約して、建物を建設します。建物は、完成品を購入するのではなく、建築主が住宅建設事業出資者(プロデューサー)となり、建設会社が工事を担当して、両者の協働によってつくられます。建築主は、消費者として住宅を手に入れるのではなく、住宅事業のプロデューサーとして、社会ストックとなるきちんとした建物をつくる立場にあります。

建築は、買う物では無く、建築主がつくる物です。とはいえ、建築主は、きちんとした建築をつくる知識・経験・勘・ノウハウを持ち合わせていません。そこで、建築の専門家として建築主のパートナーとなるのが、我々建築家の役割です。

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■建築家
この頃、テレビや雑誌に「建築家」と言う言葉が氾濫していますが、建築家とは何でしょう?
独立して間もなく、私の父親ほどの年齢の先輩に諭されました。
「人様からお金を頂いて建築を考えるならば、自分のことを「設計屋」「図面引き」などと、はぐらかしてはいけない。
自分を建築家と名乗るのには照れもあるし、人からは傲慢な態度に取られることもある。
しかし、君に設計を依頼した人は、図面引きを頼んだのではない。建物をつくるパートナーとして自分の建物を託したのです。
施主の期待にこたえる為に、建築家として全力でその責任に向き合いなさい。」

未だに照れますが、それ以来、自分の仕事を「建築家」と名乗るようにしました。
建築家は、デザイナーでも芸術家でも図面引きでもありません。建築家は、住宅・建築を託すパートナーであり、建築主とのコミュニケーションの中から、空間や場所を創造し、丈夫で、美しく、快適な、「建築」をつくる専門家です。

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■建築家に依頼する-1
色々なホームページに、建築家に設計監理を依頼するメリットが書かれています。「デザインの自由度」「コストコントロール」「設計監理と施工の分業による品質管理」大体同じような内容です。建築家に設計監理を依頼し、工務店に建設を依頼する方法が、これらのメリットを得やすいのですが、あくまでもシステム論です。「量産住宅」「規格住宅」というハウスメーカーの建設システムにもオプションと称するある程度の自由度を用意していますし、品質管理はシステムではなく個々のモラルの問題でもあります。
私は本質的な違いを、住宅建設に「プロジェクトリーダー」が存在し、「ホスピタリティー」があるか否かの違いと考えています。

ハウスメーカーに建築を依頼した場合、企画・設計=本社設計部、施主との打ち合わせ=営業、オプションや細かな変更=営業所の設計担当、工事現場のチェック=現場監督と実に多くの人が関わります。しかし、「この建物は私が造りました」と言える一貫した責任の所在がありません。責任の所在は、会社という体制です。
他の分野では、体制やマニュアルに依存した方法や、流れ作業という分業体制が行き詰まり、より人間性を重視した考え方に転換しつつあります。「これは、私の店です。」「これは、私が組み立てました。」一貫した責任の所在が、やる気を呼び起こし、個々の人間の「良いものを」という本能と責任感を引き出すことが見直されています。
ユニクロの店長…http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview0518.html
セル生産方式…http://www1.harenet.ne.jp/~noriaki/link71-3.html
マニュアルとは時に思考の停止を意味し、一方「良いものをつくりたい」という本能や、「人に喜んで頂けるものをつくりたい」というホスピタリティーは、思考や工夫の継続です。

建築家は、施主とのイメージの共有から始まって、デザインし、設計し、コストコントロール、現場でのチェック、工務店の現場監督との打ち合わせ、職人・専門職との打ち合わせ、建物の色決め、工事内容の変更、工事のチェック、あらゆる場面でリーダーシップを持って建物に関わります。誰しも、「私たちの為に、素晴しい家を造って下さい。」と頼まれたら、がんばらない人はいません。
「一貫して一人の人間が一戸の家づくりに携わる」それが建築家に仕事を依頼することの意味です。
施主と建築家が直接繋がること、これが本来の建築家の能力を引き出す、唯一最良の方法です。

建物を託す側の建主もより多くの労力が必要になります。クライアントとして、プロジェクトリーダーに如何に高いレベルでイメージを共有させるかが、住宅建設プロジェクトの成否を左右する一番肝心なことです。
マニュアルや体制に建物を託すのではなく、人に託すのですから、自分に合った人選が重要です。
感性・価値観を共有でき、何よりも互いに臆することなく対話できる”flat”な関係が必要です。


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■建築家に依頼する-2
情報誌・ファッション雑誌やTV番組でも、建築や建築家が取り上げられる機会が多くなりました。建築家に自分の家づくりを頼むのが身近になり、住宅の設計を多く手がける建築設計事務所も増えました。
数ある設計事務所のなかから、誰をパートナーに選ぶかは、大変悩むところでしょう。ラーメン屋さんでしたら、自分の気に入った店を食べ比べれば良いのですが、建築設計はその様な訳にもいきません。
建築家を選ぶ際、建築写真のオシャレな階段・斬新な色使いなど「気の利いたデザイン」に惑わされてはいけません。
設計監理料の金額があれば、高級イタリア輸入家具のソファセットとダイニングセットに飾り棚を購入できます。あるいは、内装に費用を使えば、目に見えて豪華な内装材料を使うことが出来ます。目に見える物と設計監理料を天秤にかけるのでしたら、建築家に仕事を依頼するのは意味の無いことです。ちょっとオシャレなインテリアを設計してもらうよりも、一流デザイナーの素敵な家具を手に入れる方が満足するに違いありません。
建築家の大切な仕事は、空間や場面の組み立てをすることで、それが即ち、建築計画であり建築設計です。

●建物のイメージを建主と共有する。あるいは、建主からイメージを引き出す。
●敷地と建物の関係を計画する。
●建物のプログラムを整理する。
●建物全体にわたる、秩序や方向性を導き出す。
●周辺環境、デザイン、使い勝手、構造、設備、その他を総合的に考え、建築にまとめ上げる。
建築設計は、これらの能力や経験が必要で、きちんと建築の組立てが出来る人に設計を依頼するべきでしょう。
おしゃれなデザインの寄せ集めでも一応の建物は出来ますが、時間を経ると、空間の骨格がきちんとしているかは歴然とします。美人(イケメン)でも、底の浅い彼女(彼)にはすぐに飽きます。建築とは長く付き合わなければなりません。
住宅の空間や場面の組み立てという、漠然として形に表れないものに対価を支払うのは理解しがたいかもしれませんが、これが建築家に仕事を依頼することで、これを理解するには多くの建築に触れる、しかも、建築写真だけでなく必ず空間を体験することです。
優れた空間を体験すれば何か感じるものがあり、何も感じないのならば、その建築に魅力が無いか、あなたの感性に合わないかのどちらかです。
海外では、建築の組立てが出来る人に「Architect」の資格を与え、「デザイナー」「エンジニア」とは区別しています。
日本では、建築士は設計も施工も一緒で「建築家」の資格はありませんが、建築設計の経験・能力・継続的学習により一定の条件を持つ人を登録する、建築家協会の登録建築家、建築士会連合会の専攻建築士、などの登録制度があります。

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■コンストラクトマネージャー
お施主さんから、「CM方式」「個別発注」について、訪ねられることがあります。住宅建設に対する関心の高さの現われだと思います。
通常の建築工事では、工務店が元請けをして、工事管理をしながら基礎・大工・左官・塗装・建具・サッシュ・屋根・給排水・電気などの下請けに発注して、工務店の総合責任において工事を進めていきます。一方「CM方式」「個別発注」とは、基礎・大工・左官・塗装・建具・サッシュ・屋根・給排水・電気などの専門業者や職人と建築主が直接契約して工事を進めます。個別発注のメリットは、どの工事にどのようにお金が使われたかの透明性と、建築主と職人とのダイレクトで密接な関係にあります。
本来は、建築主の責任において、建築主が全体のコストコントロールをしながら、各専門工事業者や職人に工事を発注し、各工事間の工程調整や工事現場の安全管理を建築主が行うのが、個別発注・分離発注です。
しかし実際には、建築主は発注管理や工事管理のノウハウや時間の自由がないので、分離発注や個別発注をコーディネートしている設計事務所に、設計監理料とは別途に工事マネージメントの経費を支払って、コーディネートを委任するケースが多いようです。

CM=コンストラクト・マネージャー、横文字で呼ぶので新しく聞こえますが、工務店の「現場監督」の仕事が即ちCMです。建築には、基礎から始まって、大工・屋根・建具・左官…実に様々な職人が工事に関わりますが、彼らへの発注を管理し、人々をまとめあげ、計画どおりに工事を運営するのがCMです。CMの気配りひとつで、色々な職人さんが気持ちよく仕事できたり、ギスギスした関係で仕事をしなければならなかったりします。職人さん同士がギスギスした現場では、良い建物になるはずがありません。
CMに必要な一番の資質は、みんなに気配りが出来る、マネージャー=調整役の能力です。
CM業務は、専門工事の発注管理・コストコントロール・品質管理・工程管理・工事現場の安全衛生管理・変更工事への対応・アフターメンテナンスの予測・等々多岐にわたり、多少の座学をしたからといって一朝一夕で身につくものではありません。
建築家・設計事務所のスキルとCMのスキルは重なる部分も多くありますが、全く別の職能です。分離発注や個別発注をコーディネートしている設計事務所では、CM業務専門に、工務店での現場監督経験のある優秀な人材を確保しているようです。

建築主と職人とのダイレクトで密接な関係もCM方式のメリットのひとつですが、分離発注・直接発注でなくとも建築主と職人さんが関係を築くことは可能です。工事現場にお茶菓子を持参して、現場監督や職人さん達と話をするのは楽しい経験です。発注方式や直接契約も大切かも知れませんが、それ以前に人間対人間としてお互いの顔を知って言葉を交わす事が大切です。
プラスの側面だけでなく、素人と職人とが直接の契約関係になった場合、手直し工事の手間賃や、仕事の手待ちの穴埋め、支払いの時期などで気まずい関係になることも少なくありません。その辺りを円滑に進めるのも、CMの役割です。

また、建物の不具合は複数の職種による複合的な要因で発生することが殆どです。モルタルリシン吹き付け外壁のひび割れを例にとってみると、工事には、大工・左官・塗装の職種が関与し、誰か一人の原因に特定することは困難です。通常は元請工務店が一括して建物に総合責任を持ちますが、「CM方式」の場合、元請責任・工事総合責任の所在が無いので、例外なく複数の工事業者間で責任のなすりあいになります。
CM業務・オープンシステムを積極的に行っている設計事務所グループでは、CM業務を対象にした保証・保険に団体加入して、不測のアフターメンテナンス等に対応しているようです。

システムに透明性が求められ、工事発注形態にも色々な選択肢が出来ましたが、私の事務所では、人的にも保証保険の面でも、CM業務に責任をもてる体制をとっていないので、「CM方式」「個別発注」のご相談には対応しておりません。

CM業務に積極的でない理由として、私個人は、建築家・設計事務所は工事請負やCM業務に携わらないからこそ、第三者として公正で厳格な工事監理が出来ると考えています。例えば、「この仕上がりが悪いのでやり直してください。」といえるのも、私が建築家としての独立した立場でCMに関与しないからで、工事の工程・やり直しの時間や手間賃を管理するCMの立場では、デザインの管理や手直しの指摘に自ずと限界があります。
現在は、設計事務所がCMを兼ねるケースが殆どですが、将来的にはコンストラクト・マネージャーという職能が確立され、設計事務所や工務店から独立したコンストラクト・マネージャー事務所が、発注工事管理マネージメントの役割を果たすのが、本来の「CM方式」の姿ではないかと考えています。

一方で、工務店・現場監督・大工棟梁を筆頭にした職人集団による工事は、世界に誇れる素晴しいチームワークの建設体制です。
その存続の為にも、工務店は、従来の大幅な値引きによる不透明な工事見積を改めて、職人との協働を今まで以上に大切にしつつ、建築主に信頼される工事価格の透明性を示す努力が必要でしょう。
我々建築家も、色々な場面で説明責任を果たしながら、建設工事の透明性に対する的確なをアドバイスが求められています。

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